高輪から白金台を歩く
 

旧細川邸の「シイ」

 

庭園マップ

自然の丘陵と小川跡を利用して作られた5万uもの日本庭園です。

趣のある堂々とした「正門」です。

東大医科学研究所
 

旧熊本藩細川家「下屋敷」に植えられ、推定樹齢300年以上の「シイ」の巨木で、都の天然記念物となっている。皇族邸(約20,000u)を含む、このあたり一帯が細川藩下屋敷跡。木の奥に見える白いビルのところが「白金高輪駅」で、ここまで歩いて5〜6分です。

 

東京メトロ「白金高輪駅」で下車し、「高輪皇族邸」、「八芳園」「東大医科学研究所」「東京都庭園美術館」を訪ね、JR「目黒駅」まで、カメラ片手にブラブラ歩きました。

八芳園

奥に見える和風建築は「壷中庵」(こちゅうあん)です。この建物は、当初「日本館」と呼ばれていましたが1994年作家の故「遠藤周作」氏が中国の古典からとって名づけたそうです。神式の「結婚式場」他、多くの座敷があります。

「六角亭」と言う「東屋」があります。

「木戸門」から下ってきた所です。右奥辺りが『壷中庵」です。

2019年4月末、天皇陛下が退位された後、しばらく住まわれるのがこの「高輪皇族邸」です。ここは、以前「高松宮邸」として使われていましたが、2004年同妃殿下が亡くなられて後は、空き家となっていたもので、現在鋭意改修工事が行われています。退位後は「御所」と「東宮御所」の改修が始まります。工事が終わったら、改修後の「東宮御所」に移られ、そこが「仙洞(せんとう)御所」(上皇が住まわれる所)となります。それまでの、「1年数ヶ月」はここに住まわれることになります。

「正門」を裏から見たところです。

正門を入った「右手」(近代医科学記念館の前)の「ゴシック調」の建物は、1940年(昭和15年)に建設された「旧公衆衛生院」です。公衆衛生院が2002年(平成14年)、「国立保健医療科学院」に改組され埼玉県和光市に移転した後、現在は、「港区立郷土歴史館」として使われています。

 

アールデコ様式の代表的建築として、国の重要文化財であるこの建物は1938年(S8年)「朝香宮邸」として建設された。戦後は、「首相公邸」、国賓の「迎賓館(白金迎賓館)として使われていたが、その後東京都の所有となり1983年(S58年)「東京庭園美術館」として一般公開され現在に至っている。この美術館の特徴は、多彩な企画展示会もさることながら、建物そのものが芸術作品であり、加えて「庭園」も美しく見ごたえのある美術館です。

「正門」から「建物」までは、濃い樹木の中を歩いて暫らくかかります。

 

しばらく行くと「左手」に「木戸門」が見えます。「本館」の少し手前の所です。

「西門」から真っすぐ入ってきた所です。正面に見えるのが「本館」です。

池面に「楓の葉」が映えています。

ペスト菌の発見や破傷風の治療法の開発で有名な「北里柴三郎」を初代所長として、1892年(明治25年)に設立された「伝染病研究所」を前身とし、付属の研究病院を持つ唯一の医学・生命科学のための研究所。「目黒道り」と「外苑西通り」に挟まれた「70,000u」の敷地に、約300名の大学院生を含む約1,000名で構成されている研究所です。

東京都庭園美術館

゜本館」裏面です。この美術館の特徴は、自前で美術品の収集をせず、多彩な「企画展の開催」とそれ自体が美術工芸品である、「アールデコ」様式の内装を含む「建物自体」と素晴らしい「庭園」を味あうところにあります。

「日本庭園」です。

左の写真を逆方向から見たところです。塀の端の道路をはさんで右側に「シイの木」があります。

この塀が、敷地の「北側面」です。

この塀の角が、道をはさんで「シイの木」の対面になります。

塀の内側が「高輪皇族邸」です。

高輪皇族邸

江戸時代、天下のご意見番と言われた「大久保彦左衛門」の屋敷があった。その後、1915年(大正4年)日立製作所の創設者「久原房之介」の邸宅となり、庭園もその時整備されました。戦後、昭和25年から「八芳園」という名称で高級な「結婚式場」、「パーティー会場」となり今日に至っています。庭園の名称は、「四方、八方どこから見ても美しい。」に由来する。

「目黒通り」に面した「正門」です。「2017年」に[創立125年」を迎え、「世界の頂点を目指す」という標語が掲げられています。

「西側面」の続きです。突き当りを右に曲がったところが「シイの木」です。

白金台には、しゃれた「オープンカフェ」

があります。ここで小休止します。

池のところまで降りてきました。

池の畔の「東屋」で、外国からのお客さんが鯉に餌をやっています。

左手奥に見えているのは、『壷中庵」です。

「夢庵」という茶室です。

「医科学研究所1号館」です。この建物は、隣の「郷土歴史館」と同じく東京大学建築学科教授の内田祥三により設計され対となって建てられました。この1号館の裏手が総合研究棟や病院になっています。

港区立郷土歴史館
高輪皇族邸
八芳園

右手奥の大きな木が「シイ」です。

敷地の「西側面」です。「突き当り」を右に曲がったところが右の写真です。

「池」には、見事な「錦鯉」が悠々と泳いでいます。

「正門」を入った「左手」に「近代医科学記念館」があります。展示を見るとこの研究所が日本の「近代医学」の拠点であった歴史がわかります。

゜「本館」正面です。

敷地の「南面」です。正門が見えています。工事のトラックが入っていきました。

敷地の「東面」です。

「西洋庭園」です。